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福岡中洲の歴史

福岡 中洲の歴史を紐解いてみましょう。

☆中洲が誕生したのは慶長五年(西暦1600年)
那珂川と博多川に囲まれたおよそ0.15k㎡の中洲は、西日本随一の歓楽街に発展する現在に至るまでには、様々な時代の変遷の中で発展を遂げてきました。

福岡城築城のため、黒田長政が福岡の町造りを行った時「福岡」と「博多」を繋ぐために、当時中ノ島だった中洲に「中嶌橋」を架けたのが起源だと言われています。


☆豊臣秀吉「博多町割り」の十数年後に中洲誕生
慶長五年(西暦1600年) 黒田長政が福岡の町造りに着手し、福岡城(舞鶴城)と商人の町博多を繋ぐために中の島(洲)であった中洲に「中嶌橋」を架けたました。福岡と中洲はほぼ同時に誕生したのです。

天正15年(西暦1587年)豊臣秀吉が"博多町割り"と言われる博多の新しい町造りを行ったすぐあとのことです。


☆公立図書館「櫛田文庫」
1818年(文政元年)に櫛田神社の中にある「櫛田文庫」を開設された。
実はこの櫛田文庫は世界で一番早い時期にできた公立図書館なのです。

博多には松永子登や奥村玉蘭など、著名な町人学者がいて玉蘭は「筑前名所図絵」十巻の立派な地誌を出している学者です。
博多の町人には大変な勉強家が多かったんですね。


☆中洲流と博多祇園山笠の起源
西暦1243年(寛元元年)に博多祇園山笠が始まりました。
追い山笠が行われたのは、それから240年後の1687年のことです。

博多山笠の起源は承天寺の開山、聖一国師が悪疫退散のため施餓鬼台(仏)飢餓に苦しんで災いをなす鬼衆や無縁の亡者の霊に飲食を施す法会に乗り、博多の町を舁き回ったのが始まりとされている。
飾り山笠と舁き山が明治30年後半に分離され、今日のような形態に落ち着いたのです。
その中で、「中洲流」が初登場したのは戦後の昭和24年7月1日からのことです。


☆中洲の育ての親 黒田長薄
近代科学施設は、幕末から明治にかけて中洲を中心に建設されたといわれています。

明治通り松居壱番館の前に"福岡藩精煉跡地"の石碑が建てられているのをご存知でしょうか。
この精煉所は弘化4年(西暦1847年)に黒田長薄によって建てられました。
ここでは小銃・大砲から硝子・陶器・薬品・鉱物まで多種多用にわたって試験され製造されており、黒田長薄は学術文化の町 中洲の生みの親とも言える存在です。

☆「博多橋」の由来
宝歴元年(西暦1751年)頃に、中洲に畠を作っていた小作人達が作った橋が始まりです。
これまでの丸木橋を、小作人たちが資金を出し合って、役所に頼らず自分たちの手で作ったので「作人橋」と命名されました。
この橋は過去数回架け替えられ、現在は「博多橋」と呼ばれています。


☆「國廣稲荷神社」は中洲の守り神
商売繁昌の神社「國廣稲荷神社」の歴史は古く、黒田藩が財政立て直しの為、中島浜新地に歓楽地帯をつくったころにさかのぼります。
当時は小さな杜でしが、1989年に改築され國廣神社と改称されました。

「中洲まつり」の女みこしは、商売繁昌の神社の名に因み「中洲國廣みこし」と命名されたのです。


☆百貨店の登場
大正14年10月に、百貨店の前身である玉屋呉服店がオープンしました。

エレベーター付、地階~5階建てという福岡では初となる本格的百貨店が開店し、初日には約4万7千人ものお客が殺到し大変話題になりました。
当時の福岡市の人口が14万6千人の頃ですから、すごい賑わいですよね。


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